多感作用と誰が為の共感

萊草唳の創作雑記

ほしのにんぎょひめ 存在しない筈の本

或る星売りのおはなし

「この街の伝承をしっているだろうか?

まあ、この街に来たばかりなら知らないだろう。こっちへ来て座ると良い。

いやあ、君はなんとも運が良いよ、驚異的な運の良さ

って言ってもいいくらいだ。

まあ人魚姫の涙ってのは…

お?気になる?でもこれは特別な人にしか手に入れる事の出来ない…

…まあそんな代物ってことだな、うん

俺?…俺は様々な所を旅してきた旅人。ってことくらいかな、言えるのは

…聞きたい?

そうかそうか、よし、教えてあげるよ

実は、俺は様々な所を旅してきたといっても場所が普通じゃないんだ

ほら、あそこに見える星がわかるか?

名前を教えてやるよ

ベテルギウスっていうんだ

いやー、大変だった。なんとも酷い場所だったよ

空気は薄いのになぜか光る星の方へ身体が引っ張られるんだ

ガス状の霧は遠くから見れば綺麗だけど

…あそこはセーターを着ていくべき場所じゃないね

パチっと音がする度にいちいちセーターが燃えないか

始終神経を尖らせてないといけない

恐ろしい所だったよ

でも、あたりを漂うふわふわとしたガス雲は

思わず綿あめにして食っちまいたいくらいだったよ

なんでそんなことが出来たかって?

それは人魚姫の涙を手に入れたからさ

もし方法が知りたいのなら教えてやるよ

…どうだ?酒場にでも行って話そう」

 

 

 

 

 

かのように強欲なものは自身のありもしない経験を

存在しない筈のものを意気揚々と語って見せるのである

 

この、最後の文言だけは何者かの手によって消されていた。

ほしのにんぎょひめ Schön war,das ich dir weihte

レコードに針を落としてそっと目を閉じる

瞼の裏に映る思い出を頼りにして

あの時の甘美なひとときを思い起こすのだ

お前は美しかった

白いワンピースを着ていたお前が優しく微笑んで私の手を取るのを

ただ、見ていた

そして

お前はいつしか病に倒れることとなった

病室で静かに微笑むその姿は

ああ、元気そうな素振りを見せてはいるがお前が病室でひとしきり泣いているのを

私は知っているのだ。

私は必死だった

ある日は

「君の為に図書館を作ろう、とびきりのを」

そして、ある日は

「家も造らせた、どうだね」

 

その度にお前はただ悲しげに頭を振って微笑むのだった

私には分からない

お前が望んでいた事が

私には分かっていた

いくら建物を建てたとて、それが上手くいく筈がないということが

私は気付いていた

建物を建てると言った時に周りに居た者達の中に…

私はもう無力だった

抗えない流れの中に、居た

 

 

ほしのにんぎょひめ Mädchenlied

ほんとうのさいわいを求めて、

ぼくは久しぶりに図書館を訪れていたのだった

誰もその区画に踏みいる人はいなかったのか

俄かに色褪せた本が一つとして欠けることなく棚におさまっていたのだったが

この街の伝承を記したとされる、本も、ぜんぶ 無くなっていたのだった。

あの時は気付かなかった不自然さを今はありありと感じる事が出来る

ぼくは深呼吸をひとつして、

棚に収まっていたその本を手に取った。

その本のページの隙間から

はらりと一枚の紙が落ちてきたのだった。

 

ああ、そうだ

かつてのぼくは読書に夢中になっていて、

そして、祖父のしてくれた人魚姫の話に夢中になって

図書館にある本を片っ端から読むのが習慣になっていたあの頃は、違う事がぼくを苦しめていたのだった

 

 

 

「…女の子に生まれてきたなら良かったのにね」

母は、思い出したようにぼくの方を見てはそんな事を言っていたのだった。

マグカップを手にし、滔々と語る母は時々どこか遠くを見ているような目つきで外を眺めている

 

…まるでぼくが必要ないみたいに

 

そんな不安が澱のように溜まっていって

いつしか家に帰る事を拒絶している自分が、いた

 

ここではない、どこかへ。

 

自分を必要としてくれる誰かを求めて

けれどもぼくは、この通り臆病で、…それは今も変わらないのだけど

 

どこか遠くへ飛びだしていく決心もつかないまま、ただ図書館にぎりぎりまで居座り続けるのが日課となっていたのだった。

 

ああ、そしてそんな時にあの、店主と会ったのだった。

宮沢賢治の本を手にとって読もうとした、あの時に

 

「…ほんとうのさいわい、か」

「星が、…好きだから 何かそういう本がないかなと思って…」

ぼくはあの時ただ俯いてそう呟く事しか出来なかったのだった

「…いや。いい本を選んだと思うよ。…もしかして、中学生?」

「あ…はい…一応そうなんですけど…」

「まあ、こんな時間は学校だよね。普通は」

「…はい」

「いいんじゃない?少なくとも誰かに迷惑かけてる訳ではないだろ?」

…たったその一言でぼくは救われたような気分になってしまったのだった

それからぼくは、足繁くかれの経営する喫茶店とバーを兼ねたあの店に行くようになって

そこで彼らと出会う事になったのだった。

 

そして店主の残したこのメモが告げた場所はぼくにも心当たりがある場所で、

 

「…母さんは、ぼくよりも前に店主に会っていたんだね」

 

ぼくの中でひとつの謎が氷解したのだった

 

ほしのにんぎょひめ Vorschneller Schwur

「ひとつ、聞きたい事があるんだ。…いいかな」

「…何?」

「君はこの街に心底うんざりしているようだけど」

「…そうね」

「ここから出る気はないみたいだね、どうして?」

「わたしには、やらなきゃいけない事があって

 それはここでしか出来ないことなの

 …古くからのしきたりだから」

そう零す彼女の顔に迷いはない、

「参った、」

「…え?」

「君はいつまでここにいるの?と聞く事はあっても、

どんな旅の話をしたところで、行ってみたいと言った事は一度も無くて

時折ふいに悲しそうな顔をする」

耐えきれずに思わず後ろを向いた

これ以上、顔を見ていると言いたくない事まで、思わず口走ってしまいそうだ

と、同時に得体のしれない怒りがふつふつと腹の奥底から湧きあがってくるのだった

ぎゅっと拳を握りしめ、静かに、息を吐く

「………」

彼女は喋らない

…限界だった

燻った蝋燭の融けた塊がへやの四隅に見える

「あと、最近何人かまとまった人達であたりをうろついているみたいなんだけど

 …ここに俺が来た事となにか、関係してるのかな」

「……知らない」

「教えて、本当のことを」

信じたいんだ、君を

そうしたら、やっと一歩踏み出せるような気がするんだ

「…知らないのよ、本当に

 私が行く事が許されてるのは、ここと、あとあの海岸を除けばごくわずかだから」

「…まるで囚われたみたいに、…因習にも、親にもか」

その全ては見ないふりをして他でもない自分が逃げ続けてきたものだった。

そしてさらに彼女は枷まで負っているのだ。

敵いっこなんてないのだ…あの時始めて会ったときからそう思っていたのだった。

「そんな事言わないでよ。…まだここに居てもいいのに」

「いや、御蔭で決心がついたよ。」

臆病な自尊心が、今までの自分の全てだった

「え、」

再び振り返って彼女の方を見て、今度は迷いなく、はっきりと

「君は酒場がきらいだと、そして酒がきらいだと」

「…言ったけど、それが?」

「だったら、見せてあげるよ、ここで、選りすぐりのを」

…きっかけは他でもない君なのだけれども

そう言ってしまえばなんだか恥ずかしいような気がして

口に出せないままだった

「君は、あと酒場で何が起こってるのか、知りたいとも言っていたね」

「寂れた理由は、…なんとなく見当がついているの

 …でも、それ以上に最近おかしいの、街が」

「酒場なら、何かわかると?」

「…そうね」

「ただの町おこしなら、今までなんどか行われてきたし

 …それは父のやってきたことだわ」

「なるほど、君がここに居続ける理由が分かって来た気がするよ

 …もしかして、兄弟もいないんだろ?」

「…当たり」

「…全ては失敗に終わって、今は父の話に耳を傾ける人もいないわ

 家に籠りっきりで、曲を聞いてるの

 前までは母がやっていたのだけど、

…病気で亡くなってからは私がレコードを、父のリクエスト通りに流すのが日課ね

私が居ようがいまいが、変わらないのよ。

きっとどこへ行こうと同じね。…だからかもしれない」

「君はここで生き続ける、と?」

「そう、…そう、ね」

「居ようがいまいがは言いすぎだよ

 …そうじゃなかったら毎日リクエストなんかしないだろ」

「………」

「…ね?」

「そうなのかもね、…ありがと」

「どういたしまして」

やっと彼女が笑ってくれた

「何があっても店は続けるよ」

「…そう

「決めた事だから」

 

籠の扉を開けたとて

きっと素知らぬふりをして、

また元の通りに

ならば鳥籠にならずとも

居心地のよい止まり木になれば、

そして「場」を作れたならば

またこのように彼女は笑ってくれるのだろう、と

そう信じて

この先何があろうとも、ここで出来る限り選りすぐりのものを

 

君の前に跪いて手を差し伸べたとしても振り払うのは分かっているのだから

 

 

 

…日記にかかれていたのが、かれの全てだった

 

「…だからってここまでする必要なんて、ないじゃないか」

 

ぼくは、そう呟くことしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

ほしのにんぎょひめ Der Jäger   

父は何か懸念事があると決まってレコードに針を落とす

今日は、

 "Der Jäger" Johannes Brahms Op. 95

を、

頑迷そのものである父が好む音楽はどこか華やかで

そして楽しげである

聞く曲は父がいつも選ぶが、曲をかけるのはいつも決まって私である、

かつては母のやっていた仕事であった。

私は与えられた仕事をただ、いつものように繰り返すだけ

 

父はというと

まるで、何かを思い出すかのようにじっと瞼を閉じて

ただ聞いているのであった

豪華な作りの図書館は彼が命じて作らせたものであった

辺りにある家は、住む人がいないまま随分時が経ってしまった。

酒場だけがただ、賑やかであった。

「…今日もまた何処かに行くのか」

「…はい」

父に対するささやかな抵抗である。

行先は告げない。

「…今年の御神酒の準備は」

父はいつも仕事の事しか聞いてこない

「…滞りなく。」

それさえ守れば十分なのだ。…きっと。

 

 

ほしのにんぎょひめ Beim Abschied

彼女から聞かされた人魚姫の伝承によると

度重なる嵐にが原因で漁村であったこの街が存続の危機に見舞われた時に

村の長がある日これは人魚の仕業であるというお触れを出し

その怒りを鎮める為に松明の灯を絶えず灯し続け時には生贄を差しだすような事もあったらしいが

かといって犠牲者を祭った神社はないとのことでたしかなことはわからない、とも言われたのだった。

そして祀り事はすべて男性の手によって行われるので、これが伝承の全てであるとは限らないとも言われてしまったのだった

他に知ってる事はないのか、と聞く度に彼女はとても悲しそうな顔をするのでそれきり聞く事も出来ないままでいたのだった。

 

そして、気になる事はもう一つあった。

ここ近辺の住宅はほとんど空き家で、また彼女の家の持ち物だという話を聞いた通り当初は人気のない酷く静かな所であったのに

どうも最近人の声や、近くで何人かが寄り合って話をする声が聞こえてくるのであった。

自分の後をつけてこちらに来たんじゃないか、もしかすると彼女が何か向こうに話を持ちかけてこちらにやってきたんじゃないか、などといった

そんな嫌な考えが駆け巡ってどうにもここからすぐに立ち去りたいと思いながらも

彼女の来訪を心待ちにしている自分がいるのも事実だった。

そして明日には、明後日にはもう会えなくなるんじゃないかと思うと居ても経ってもいられなくなるのだった。

しかし、彼女の住んでいるところを知らないし、そしてそれを聞いてしまえば二度と会えなくなってしまうような気さえしてくるのだった。

努力はしていたが、振り払おうとしてもどこか尾を引いて纏わりついてくる不安が

そして家の周りをうろつく人の声が、

それらを眺める事しか出来ない自分の不甲斐なさが

彼女の来訪で全てが打ち消されてしまうのであった。

だけれども、日ごと表情を曇らせていく彼女はどんな話をしても表情を綻ばせることは少なくなっていき

さらにはどこかよそよそしい雰囲気を醸し出し始めているのであった。

 虫よけにもなるからと、渡されていた蝋燭の明かりはくすぶり始めとうに尽きかけていた。

ほしのにんぎょひめ Bei dir sind meine Gedanken

「ほんの少しだけ滞在するみたいに言ってた癖に随分長い事いるじゃない」

「…まあ、宿代がほとんどかからないというのが一番大きな理由かな、

 多少の不便には慣れてるので、これくらい」

「………」

「何をそんなに不満そうな顔してるんだ?…言ってみてよ。」

「たしかに正論だけど、この寛大な大家に何か他に言う事はないの?」

「ああ、差し入れもありがとう。こんなに良くしてくれるのは君が初めてだ

 今日も何か持って来てくれたのか」

「…そうだけど。…また話聞かせてくれる?」

「今日は君の話を聞きたいな。この街のこととかも。

 そういえば君に会った時、酒場でどんな話を聞いたか君は酷く躍起になっていたみたいだけど。あれは?」

「…まあ、あれは私が迂闊だったわ。

 いいわ、教えてあげる。」

「…前会った時よりも格好、なんか変わったね。」

「まあ…ね

 って街の話でしょ?」

「まあ、うん、どうぞ」

「じゃあ、話すわ、いい?

 この街は古くから漁業が盛んだったから、海に纏わる色んな伝承が残ってるの

 だから結構図書館とか今はすっかり寂れちゃってるけど 

 外装だけはやけに豪華ってわけ」

「なるほど、だからこそ君はこうやって空き家を守る主としてここに残り続けている訳でもあるのかい?」

「…ちょっと違うけどだいたいそんなとこね。皆は羨ましがるけど。

 あなたは話を脱線させるのが好きなの?

 このままだといくら時間がかかるか…」

「気に障るなら無視してもいいよ。君は…とても親切だね

「ここにはあなたと私しかいないからね、当然でしょう?

 目の前に居る人の話を無視するなんてそんなこと出来る訳ないじゃない」

「そうかな…俺は、よくお前の話は要領を得ないからって

 いてもいなくても同じ扱いみたいにされていたよ。

 …だからこそ旅を始めたわけで、話しかけられる事は滅多にないけど

 迷惑がられる事はなんども。」

「色んな事を知ってるし、面白い話を聞かせてくれたりもするのに、不思議ね。

 見る目が無いんだわ、その人達に」

「…ありがとう」

「…えーと、この街の伝承の事だけど。いつまでかかるのか」

「…ずっと」

「…え?」

「ずっと聞いていたいなって思うと、どうしても遮ってしまうんだ」

「ずっと居てもいいよ、…迷惑でなければ」

「それが聞けて安心した、話、聞かせてくれる?」

「…分かった。

 この街には人魚姫の伝承が残ってるの」

「酒場には入ってないからまったく知らなかったよ」

「だからあんなにびっくりした顔をしてたのね」

「…それはちょっと違う理由があって…まあ、それはいいや。

 あと、どうして酒場に行ったのが分かったのか教えてほしいんだけど」

「それは私の早合点というか…だいたいあの入江に来るのは酒場で話を聞いてやってきた人がほとんどだから。たまたまね」

「偶然ってすごいね。」

「…そうね」

「話、続けて?」

「…いつまでいるつもり?」

「…だからずっと」

「…そう。じゃあこの話はまた今度、いや、明日かな。

 それでいい?」

「君の話したい時に、いつでも」