『未だ見果てぬ可能性の海に捧ぐ。そして想いは現代のプロメテウスと共に。
…創造の篝火を決して絶やすことがないように。』
Meta-berthどこかにある、待ち合わせ場所
―――どこででもあって、どこへでもない場所。
そこかしこに、あらゆる「何か」の痕跡があり、指で軽くなぞるだけで、あっという間にすべてが「蘇る」
『亜生存圏』としてのヒトの営み…。曰く、それが「メタ・バース」だと云うそうだ。
◇◇◇
創作ベース「あ・プリヲリ」そこは僕らのとっておきの遊び場だった。
ここは、其処彼処に拡がる創作の大海原。…原始、僕らは海で生れた、とされている。太古の生命は、ごちゃまぜになった化学物質のカクテルの中で、ある時、なんらかのまとまりを以て「生じる」こととなる。
現在僕らは、ガラス張りの、高い、高いビルの中、紫煙渦巻くさなかに居た。
意味ありげな視線と視線がぶつかり合っては、消え、また、ぶつかり合っては時にその視線ごと居なくなって。絶えずラジカルな反応が起こり続けていた。
僕はといえば、その喧騒から離れたところに佇んでは、いつもの定位置についていた。バーテンダーに今日の「気分」をひとしきり述べた後、ややあって「オーダー通り」にカクテルが運ばれてきた。
そして僕は、その一杯をさして味わうことも無く、ただひといきに飲み干した。
◇◇◇
「真榊、調子はどう?」
「どうもこうもないよ、毎日が最高だってのに。これ以上何を望むっていうんだ?君は。」
紬の口角がにわかに上がったかと思うと、そのまま吸い寄せられるかのように、体を真榊にすり寄せる。真榊はそれを鼻で笑ったかと思うと、やんわりと手で制止し、そのまま紬の唇に自身の指をあてて意味ありげにほほ笑むのだった。紬は、ややあって軽く微笑んで、そのままふわりと身を翻し、奥の棚に置いてあるデバイスを取り出した。
「…さて、今日も始めようか。」
「いってらっしゃい」
「ああ…今宵も創造の海に潜ろう」
慣れた手つきで紬から受け取ると、デバイスを装着する。骨を通じて伝わる振動は、やがて脳内の化学物質の電気的勾配が織りなすエネルギーの波動と共鳴し、やがて「同化する」メタ・バースは曰く、感覚の「共有」デバイスであり、五感に関するあらゆる「感覚」を接続した任意のユーザー同士で共有することができる。
『ここは創造の海、あ・プリヲリ。おかえりなさい、創造主。The Handlerさま』
機械的な音声が脳内に響き渡る。…接続完了。
「さあ今日も“オーダー通り”始めるとしますか。」
Meta-bass 高次の底、すなわち律速
ガラス張りの天井、鏡合わせの空間。ああ「また」か、、、
放たれた言葉が容赦なく鏡を破壊していき、足元にその破片が勢いよく散らばる。
嗚呼なんということか!放たれる言葉も破壊されるだけの鏡も、無尽蔵に沸いて、沸いて、沸いて…!ぼくは、それをしっかりと見据え、こぶしを強く握りしめると同時に「それ」を勢いよく鏡に強く打ちつける。瞬間、鈍い痛みと、ややあってうっすら滲む血。
ぼくは咆哮する。すると、天井も、鏡合わせの空間も、破片すらも一瞬のうちに消え去った。
それでも、滴る血の赤さよ、…そして温かさよ。
◇◇◇
「また、明日ね」
「…また、明日」
…明日が来て良いなんて、誰が云った。
ある日、いつものように“親友”の誰かがこう云うのだった。
「りちあってさ、なんだか名前負けしてると思わない?」
「だよねー、なんかちょっと惜しい、というかねぇ…分かるわー」
―――ああ、またか。
秋根りちあは、やおら立ち上がって、声のする方に一瞥をくれてやると、どことなく意志のないさざめきは一層、その淀んだ空気を濁らせていく。
「あたしたちは、りちあのことが心配だから言ってるんだよ?」
「そうだよ、感謝しなよ」
「来なかった全体連絡のメールの存在を教えてあげたのも私たち、でしょ?」
一人の方が気楽だと告げても、事あるごとに話しかけてくる人の群れ。正直うんざりしていたし、この淀んだ空気の正体も、どこか気に障る言葉の在り処も、とうに分かりきっていたのだった。そして、おそらく、自分がそういった仕打ちを受ける最大の要因が…
「…りちあ、また眉間に皺が寄ってる。」
「ああ、蜂須賀蓮君、…居たの。」
色めき立つ周囲をよそに、蓮は、それきり黙ったままだ。…場所を移動するしかない。そして蓮も、りちあが移動する歩調に合わせて、いつものように後をついていく。
「今日も、行くのかい?」
「…何?」
「いや、あ・プリヲリに。…僕は君のファンなんだって前から言ってるじゃないか。」
「しつこいわね…」
「ホットミルク一杯でどうだい?」
「…」
「今日も力作を作ってみせる。」
「ほんと?嘘偽りない?」
「本当さ。」
「…じゃあいいわよ。」
Meta-bath 生命のスープ
最初の火加減は、正直言ってなんでもいい。けれども、仕上がり直前の温度は見誤ってはいけない。ミルクの温度があがりきったタイミング、うっすら膜が張るか張らないかのギリギリの温度になる前に、気持ちばかりの砂糖を入れる。かき混ぜるためのスプーンはリズムよく、少し液面が泡立つくらいがちょうどいい。注意深く液面の様子をみて、砂糖が溶け終わり均一になったと思ったら、そのまま優しくコップに注ぎ入れる。…これで完成だ。
蓮は、完成したホットミルクをそっと、りちあの前に差し出す。
「…ふむ、今日も合格ね。」
「お褒めに預かり光栄です。」
「…ほんとどうしてこんなに美味しいのだろう…だって蓮って、自動分子振動機の取り扱いだって覚束ないじゃない」
「まあ今もだけどね。」
「しかもいくら再現しようと思っても、出来ないの。…この私であっても。」
「…それは企業秘密だからね。」
「…っ、蓮のくせに。悔しい!」
「今日も潜るのかい?」
「ええ、もちろん。」
「じゃあ、また教えてくれるかな」
「ええ、ホットミルク分のお礼くらいはする。」
「そっか…。それは良かった。…ぼくは君のファンだからね。」
「わたしはファンなんて存在、必要ない。」
「…あんな凄いものを作っておいて、言うことじゃないだろう?」
「いいえ、幼馴染のよしみで付き合ってあげてるけど、ほんとうに、わたしは、ファンなんて、必要ない」
そう言ってりちあは、踵を返し、部屋の棚に大切に置かれたデバイスを手に取った。
蓮は一瞬傷ついたような切なげな表情をしたかと思うと、俯いてぎゅっと拳を握ったまましばらくの間黙っていた。しかしながら、顔を上げた時には、いつもの柔和な微笑みに戻っていた。
「それでもファンであることは、…止められないからね。だから応援してるよ。」
「強情ね、じゃあ、…いってきます。」
「いってらっしゃい」
蓮のいってらっしゃいが聞こえるか否かのタイミングでりちあは「没入」した。
『ここは創造の海、あ・プリヲリ。おかえりなさい、創造主。μάθηさま』
だらんと弛緩していく身体と反比例していくかのように、感覚だけは研ぎ澄まされていく。
…まるでこの世に存在するすべての音を聞き洩らすことがないかのように。
Meta-verse 俯瞰視点の叙事詩
“負の遺産からすべての言葉を奪え、創造性を以てして上書きをするのだ”
“「我」すなわち借り物の創造主なり、唯一時代を創生する支配者なり”
『オリオン』
ふわり ゆらり
震える残像ポケットへ
いつかの私は、 もうそこに いない
影踏み、足踏み
どこかへ連れてかれそうな予感
いつかの私が笑って待っていたけど
ほら、オリオンを見てごらん
今日も月は泣いているけど
君だけは変わらずにそこにいるのかい?
…ずっといるよ
それじゃまた、ね
…またね
いつかの私はもう大人になって
一人道を歩いている
いつかの私が変わらない姿で一人、佇む
ふわり ふわり
怯える言葉 解き放つ
いつかの私はとても自由だった
影踏み、足踏み
言葉に囚われて
今の私はもう動けない
ほらオリオンがこちらを見てる
貴方はいつも貴方のままでそこにいてね
…ここにいるよ
それじゃまた、ね
…またね
いつかの私がこちらを見てる
いつかの私は黙って頷く
さらりさらり砂時計は止まらない
私はいつから私なのか
ほら、オリオンは今日も私に語りかける
今の君はいつかのキミ
…それじゃまた、ね
…またね
『こめかみに銃を突き付けろ』
閉めきった思いが膨らんで
どうしようもなくなって
しまう前に
そっと誰にも気づかれないような傷を作って
切れ込みから
心を少しずつ投げだしていく
こめかみに
銃を宛てがったまま
叶いもしない夢を見
敵いもしない
暗闇を避けるように
誰か気づいて
やっぱりいいや
でも
そんな思いを抱えながら
今日も撃ち抜く
締め切った、もう終わり
どうしようもなくなって
抱えた思いは
そっと、けれども鉛のような
憂鬱さを帯びて
心ごと一気に投げだしてしまおうか
銃を宛てがったまま
叶いもしない夢を見
敵いもしない
暗闇を避けるように
誰か気づいて
やっぱりいいや
でも
そんな思いを抱えながら
今日も撃ち抜く
浮遊感
不愉快な日々とさようなら
少しずつ入れ替えて
また戻る
『思いは重い』
重いわ、思い。
交差線 すれ違い 投げやり 平行線
アナタ と アタシ 裏表
動く、平衡
入力 と 出力 の 境界線
そこにあるは 偶然
唯一無二 遮二無二 ただ振り回され、
押しつけ な 思いやり は 要りません
狂った音の隙間
埋まらない 埋まらない
空っぽの心
疼きだす 疼きだす
重いわ、 思い
思いは重い
すれ違い 思い違い 勘違い
アナタ は ワタシ 表裏
気付く、関係
入力 と 出力の 自己調節
そこにあるは 必然
唯一無二 遮二無二 ただ願うのは
押しつけな 関係は 終わらせよう
狂った音の隙間
埋まりだす 埋まりだす
新たな ワタシ
はじまる はじまる
『赤い花/白い花』
貴方が私にくれた 赤い花 赤い花
透き通るような 赤 赤 赤 が 眩しくて 思わず 目を細める
覚えていますか あの日のことを
忘れえぬ 鮮やかな日々を
叶わぬ望みと知りながら
一日 一日 を 祈るように 過ごしていく
淡い望みは はかなく散り
煙となって 消えゆく からだ
もしも あの日に 戻れたら
あの 赤 赤 赤 を もう一度 私に
私が貴方に手向けた 白い花 白い花
私のすべて 白 白 白 に 染まり 涙が 零れ落つ
忘れたくない あの日のすべて
叶わぬ望み 露と消えゆく
一日一日が 無情にも 過ぎてゆく
願わくば
彼の岸に旅立し時
また逢う事を願う
草葉の陰から見守るは死人に非ず
絡みつく想いは蔦のよう
幾ら振り払っても取れやしない
『レンガの壁に囲まれて』
ブリキのような
軋む心を埋める雑音を
求め、彷徨う
零と零の狭間
その先に夢を見る
ゆらり ゆれる
涙の半月
雨音沁みる
つめたいよるに
一人、流離う
零と壱の狭間
その暗がりの中で
ぽつり呟き
ぽっかりと開いた穴に
思い出を詰め込んで
埋めてしまえば
「これで元通りさ」
と、笑う人の残像は
思い出せないくらい
滲む視界
ブリキのような
軋む心に響く不協和音
ぽっかりと開いた穴に
思い出を詰め込んで
埋めてしまえば
埋めてしまえば
創作の海は果てしなく続く。誰かが詩を編み出し、呼応するかのように音楽を伴っていき、やがて曲のイメージを決定づける映像が宛がわれることで「作品」が完成するのだった。感動は質感をともなって、情報の受け手を奮い立たせ、そしてその感動がややあって変換され、創造主のもとへと届く。…純粋な評価から成り立つ創造の円環…それが創作専用メタバース、「あ・プリヲリ」の存在意義だった。
Meta-birth 悪意という名のウイルス
「ねえ、知ってる?あ・プリヲリの創造主に成り代われるオプションサービスがあるんだってさ」
「え、うそ。」
「ホント、ホント。」
「創造主って確かにすごいとは思うけど、あいつらなんかムカつくよね」
「だよねー。だから私、オプションに課金してもいいかなって」
「うん、そうだね。…何より楽しそう。」
Anonymousの綯交ぜになった感情は増長し続ける。それを止める手立てを知らないから。
創造。いや、想像もすることの出来ない者たちがもつ感情の在り処、つまりは嫉妬、転じて…
Pro-berth先回りして待ち伏せ
○月×日、○○
不審死、発生。部屋で一人きり、ガイシャはどうやら孤独死らしい
○月×日、○○
不審死、発生。おかしい、原因不明の不審死が頻発、しかも年齢層は若い。調査が必要だ。
………
○月×日、○○
不審死、発生。どうやら、ガイシャに共通するのは、同じ交流型メタ・バースのサービスを使っている。ということまでは見えてきた。
○月×日、○○
不審死、発生。クソッたれ、全部が匿名性で守られていて、痕跡が全く見えない…!
………
○月×日、○○
不審死、発生。ようやく事の起こりが見えてきた。発端は定額制の、成り代わりシステム。ユーザーはクイズ形式で、ガイシャの言いそうなこと、を解答していくらしい。解答が正しいかどうかの判断は聴衆に委ねられる…きわめて民主的で末恐ろしいシステムだ。
○月×日、○○
不審死発、生。
ようやく見えてきた…。でももう、力が尽きそうだ。この、悪意ある定額制サービスを始めたのは、…果たして誰?
Pro-bass失意の底で
「紬」
私の名前を呼ぶ真榊の声はいつも素っ気ない。…他の創造主たちに向ける声、意味ありげな視線、…そして触れるときの仕草、とは違って。
「紬」
また、私を呼ぶ声。何時ものように素っ気ない声。でも、私は知っている。…他の創造主たちと関わるのは、本当に「一度きり」…それを私はいつも傍らでただ、見ていた。
「紬」
今日はいつもとは違って、声音が少し上ずっている。終わりの始まり、始まりの終わり。
私はただ、傍らに居て、ただ、「見て」いるだけ。…ただ、それだけを縁に、傍らに居ることを「赦されている」ことを仕方なく受けて入れているだけ、…私の気持ちなんて、伝えてしまった瞬間に、終わってしまうということを誰よりも、知っているし、…分かっている。それでもわずかばかりの「変化」に安堵をし、そこに救いを求めてしまう私は、私の罪は…。
いずれ、分かるだろう、創造の痛みを、そうして、知る事だろう…今まで使い捨てにしてきた、数々の断片たちの、思いの丈を、ありったけ。
私は、ただ、真榊のそばに居たい、叶うなら…ずっと。
それが、私の唯一の願いであり、…「青苧紬」の原罪だ。
Pro-bath悪意に浸れ
広場に道化師、一人。自然と集まる聴衆たちは固唾を呑んで見守っている。彼とも彼女ともつかない道化師が、言葉を発するのを、ただただ、見守っている。
「さァさァ皆さん、酔ってらっしゃい、見てらっしゃい。今宵も、酔いの宵闇に漂う、どうしようもない迷える子羊さんたちのために、とっておきの問題を用意したよ!どんなもんだい!」
「どんな問題??」
興奮し、ざわめく聴衆たちに、道化師は憧憬の目を向ける。
「こんな問題!!!さぁさぁ皆さん、寄ってらっしゃい。見てみてらっしゃい。」
「何が問題???」
自然と口角がきゅっと上がった道化師はこう続ける。
「今宵の主役は“The Handler”とっておきの、とびっきりのご馳走さ。」
「なんて問題!!!」
「どんなもんだい、さァさァ己の知識に絶対的な自身がある奴、寄っといで!こんな問題果たして誰が解けるのやら…はてさて道化師の自分には到底分かりませんなァ…」
「たいした問題!」
「たいしたもんだいかい???さァ!!皆はこの難問を解けるかをただ、目指せばいい、…そうした内に分かってくるもんさァ!」
「たいしたもんだい!」
目を眇める満面の笑みで道化師はこう締めくくる。
「さァ!この問題を早く解けるのは…いったいだァれ???」
Pro-verse成り代わり達のつぶやき
「今回の勝者はァ!?迷える子羊ちゃんその3!!」
「ありがとうございます。彼の作品をほんとうに初期のころから、ずっと追い続けていたんです…それが報われて本当にうれしい。」
観客たちから発せられる、唸るように響く感情の連なり、…そうそれこそが道化師が憧憬し、心から求めていたもの。
今回の激戦を勝ち抜いた、迷える子羊その3のヒーローインタビューの中にAnonymousたる本音が見え隠れ、Anonymousはかつて創造主だった。The Handlerたる「彼」に、作品のアイデアを持ち込んだ…そうしたばかりに創造主としての翼を捥がれ、二度と飛べない体になってしまった。
…だからこそ、追い続けたし、追い求めた。
そうした想いは果たして許されざる「思い」なのだろうか?二度と飛べなくなってしまった体を抱えていた、迷える子羊たちは思うのだった。偽りの翼を携えて、大空を羽ばたく偽りの、…騙りの創造主たるThe Handlerの言葉に酔い痴れる、痴れ者たちとしか言いようのない、聴衆たちの賛辞を間近で見て、聞いて。
「成り代わった暁には、何を問いたいと思っていますか?」
いつになく真面目な面持ちで、道化師はAnonymousに問いかける。
「私は、かの創造主の創造性の在り処を、ただ、問い質したい。」
Epi-berth心の在り処、拠り所
どうやらThe Handlerの次の「標的」は、μάθηらしい…
Anonymous間でやり取りされ得る情報は確たるものであることが大原則。この特大のタレコミに、逸る気を抑えられないAnonymousたちはすぐさまμάθηについての情報を調べ、そして共有する。本名:秋根りちあ。学生であるという情報までは辿ることが出来た。…かの創造主は異端である。ふつう、創造主たちは様々な人の手を経ることを前提として創作物を作っていくため、ある一定のコミュニティを形成しながらフォロワーたちを獲得していくのが定石なのだったが、かの創造主にはまったくその痕跡がない、それどころか全ての交流を拒否しているともとれるような振る舞いの方でむしろ有名で、被造物たちからの評判はもっぱら悪い。しかしながら創造主コミュニティのなかではかの創造主の在り様に賛辞を贈る人も居て、所謂玄人好みの創造主として定評があるのだった。
あ・プリヲリ内での呼称である「創造主」「被造物」、創る者、感想を届ける者という違いはあれど、好きな曲であったりのジャンルに意味づけされた何かを表明するのが普通であるのに、それすらない。かの創造主から「手繰る」ことは諦めよう。
…そうAnonymousたちは結論付けた。
創作ベースあ・プリヲリに綺羅星のごとく顕れたThe Handlerは、而して騙りの創造主であった。事の起こりは、あ・プリヲリ発足前、奴が動画投稿者であった時のこと、その時から、奴は有名で、真榊というHNで他人の創作物を繋ぎ合わせて作る動画…いわゆるマッシュアップの技法で一定の評価を得ていた。繋ぎ合わせる技術と素材を選ぶセンスは人々の心を強く惹きつけ、またこうも言われていた…「パッチワークキラー」と。それは剽窃とでも言うのだろうか、だが完全なる定義は難しい。他人のアイデアを間借りしたまま、ほんの少しだけ「手入れ」をすることによってオリジナルとの境界線をひどく、曖昧にさせる工夫…しかしながら引用元の在り様を知ってしまえば、作り手にしか分からない独特の「違和感」がつきまとうといった…
「原作超え」という誰かのコメントから転じて付いた奴の異名は、一方で悲劇を生みさえした。原作者であった一人が不慮の事故とも自殺ともとれる何かで亡くなったらしい…。しかしながら奴の制作の手は止まることは無かった。名実ともにパッチワークキラーとなった奴の、手掛けたマッシュアップ動画は、投稿されるたびに絶えず熱狂的なファンが付き、あふれんばかりの賛辞の言葉で埋め尽くされることとなる。場が、メタバースになったところで奴の手口は変わらない。
…いや、より「洗練」された方法で、潜ることが上手くなっただけのこと…。
「私たち」は、其れを決して赦すことはないだろう。
Epi-bass僅かな手がかり
蓮はこのところりちあの様子がおかしいと訝しむと同時にあ・プリヲリ自体によくない噂が流れ始めていたのを察知していた。
創作メタバースを介した不審死事件。ニュース媒体ではこの話が持ちきりだったが、あらゆる情報媒体を拒絶しがちな、りちあはこのことを知らない。だから、言っても聞かないだろうとは思うものの、嫌な予感がする…。
蓮は買ったばかりの、あ・プリヲリ専用接続デバイスを見据える。りちあを幼少期から傍らでただ見ていた自分には、…才能のない、自分には決して到達し得ない世界として、今まで目を背け続けていたけれど。
アカウントの作成もそこそこに、意を決して「没入」した。
『はじめまして創造主、Theseusさま。あなたの創造の海への船出に、幸あらんことを』
「りちあ…!いま君は、何処に居る?」
Epi-bath安らぎに浸る
The Handlerは定期的に「次にバズる」クリエーターを紹介をする催しを行っており、創造主のコミュニティ内で作品をコラボレートしたり、自らの創造性に関するディスカッションなどをしていた。なかでも、ディスカッションは、零細コミュニティを形成する数多の創造主たちが、The Handlerの鮮やかな切り替えしに打ち負かされる、というのが定石となっており、「好評」を得ていたのだった。
「今日のゲストはなんて読めばいいのかな…?えーと、」
おどけてみせるThe Handlerとは対照的に、μάθηは高揚した面持ちで、The Handlerの問いかけに答える。
「本来の読みかたとは些か違うかもしれないけれど、メテと呼んで貰えたら」
にわかに沸き上がる嘲笑ともとれるくすくすという笑い声の連なり。
「今日は、この催しに来てくれてありがとう。いやぁ噂通りだねぇ。」
「…というと?」
「君は、交流型メタバースと銘打ってるこのあ・プリヲリで一切の交流を断ち、創作活動を続けている。その動機が知りたくて、呼んだんだ。」
「それは創るのが楽しいからで、」
The Handlerはその言葉を遮るかのように言葉を挟む。
「…そんなセリフは聞き飽きたんだよ。いやさ、誰からも評価されない創作物を作るつもりで、この交流型メタバースに作品を放出する理由がないだろう。」
「…それは、このあ・プリヲリが純粋な評価で成り立っている場だと思ったからで…」
「ふぅん、じゃあ君は、ほんとうに純粋な評価が存在する、とでも思っているのかね?」
俄かに口角の上がった面持ちでThe Handlerは続ける。まるで獲物をあと少しで仕留めることが出来そうだ、と言わんばかりに。
「ファッションだってそうだ、既成概念からの逸脱を謳いながら、僕らは僕らの規定するカッコ良さであったり、ダサさ…そういった感覚を取り去ることは出来ない。どこかで見たことのある格好にほんのひとさじ工夫を凝らすだけで、それは全く新しいものとして認識され得る…僕はその無限の可能性のうちにあるものを、ただ掬い取るだけ、それで名を成すことが出来る方が、カッコいい、だろ?」
これで、チェックメイトだ…!いくら心を込めて創ったとしても、大衆から受け入れられなかったら、クリエイターとしての評価は終わり…そう確信しているThe Handlerはμάθηの方を見やる。するとμάθηは、
「ぼくはファッションのことは分からない。今のトレンドがなんであるかとかも、…正直興味ないかな。だからこそ自分の気持ちに寄り添って、ただ作りたいものを作る。それを至上の喜びとしている。今日ここに来たのも、君と作品をコラボレートしたいと思ったのが理由で、…そんなことを言われるとは思ってもなかったよ。」
と悲しそうな表情で、今にも消えそうな声で言葉を紡ぐ。
はっきりとわかった、確かなる断絶。
―――ああ、
「僕には」
「ぼくには」
「「無い発想…。」」
だが、The Handlerにはもう一つの感情が芽生え始めていた。
この創造主…敢えてMuseと呼称しよう…を完全に屈服させ、自らの下に置きたい…!
それはある種の憎しみでもあり、…彼が未だかつて抱いたことのない…恋情でもあった。
…ザーッザーッザッ…
突如聞こえてくる「接続不良」を示す、砂嵐映像にも似た音。そこに存在するは無数のユーザーたちが放つ怨嗟の群体。
Anonymousたちの意識とThe Handlerの意識が接続完了となったサインだ。
「どうかしたのかい?愛しき飛蝗ども。さァ宴の時間だ…!」
どこからともなく聞こえてくる声も、無数の群体の声に搔き消される。
砂嵐のような、酷く不鮮明だった音が、意味のある音の連なりとして「聞こえて」くる。
…カエシテ、カエシテ…カツテノワタシ、ソノモノ…
はっきりとは視えないが、The Handlerに無数のバッタのようなものが群がり、アバターごと、食い尽くされようとしていた。
「…なにこれ」
りちあは驚き、デバイスとの接続を切ろうとするが、拒絶される。警告音が鳴り響くとともに、物体の群れがこちらに踵を返して向かってくる。
…アナタッテ、トッテモオイシソウネ、ヒトクチ、チョーダイ???…
―――瞬間現れた一筋の光に目が眩む。
物体たちはそれに群がろうと試みるが、「反発して」思う方向へと動けない。やがて、物体はその試みを諦め、もとの標的、The Handlerが居る彼方へと方向を変えていく。
「…りちあ」
「…その声、蓮?」
「ああ、そうだ。異変の存在はさておき、ひとまず接続を切ろう…。」
「うん。…ありがとう。」
二人が居なくなった空間に、蠢く物体が在った。対象を食い尽くした後も、攻撃的な振る舞いを決して衰えさせることのないそれは…?
Epi-verse 始まりの言葉
「…助けてくれてありがとう」
「いいんだ、りちあが無事ならそれで」
りちあはぎゅっとデバイスを握りしめ、やや躊躇うかのように言葉を発し始めた。
「ぼく、今まですごいって言われたことは何度でもあるんだ。でもその言葉を信じれば信じるほど、創ったものの粗が気になって仕方なくなるし、…まさに正しいとしか言いようのない批判を受けたこともあったよ。だから、ファンであるとか、賞賛の言葉だとかのすべてが煩わしいと思っていたんだ。だからこそあ・プリヲリはぼくの才能を正しく評価してくれる場所なんだ、と思い込んでいたし、…焦がれてもいた。」
意を決したかのように蓮のほうを見やると、そのまま蓮の左胸の方を指さして、
「ぼくは何故、あ・プリヲリに蓮が居たのかも、そして、蓮が助けに来なきゃいけないくらいの、どんな大失態を犯したのか、まったく思い出せない。あと…覚えてはないけど、君の気持は届いた。だからこうしてここに居られるんだとも思ってる。」
二人の視線が再び合う時、…それは新たな関係が始まる兆しだった。
◇◇◇
「つむ…ぎ…?」
「ああやっと目覚めたの真榊…。いや、栄柴繁。」
真榊はどうして、紬が真榊の本名を知っているのかが分からなかった。もしかすると、疑問に思う余地すら遺されておらず、伝えるための言葉も、下手をすると失われていただろう。紬の名前を呼ぶことが出来た、というだけでも僥倖だった。
「つむ…ぎ?だれ。だれ…わた、し…?」
紬は狼狽える真榊、…いや繁の両の頬にそっと触れ、接続されたままだったデバイスを取り外す。
「焦らないで、ゆっくり、ゆっくり思い出していきましょうね。水、飲めるかな?ひどく、汗かいてる。」
「…!。みず、のむ!」
「私は青苧紬。今日から私が、あなたのお世話係です。よろしくお願いしますね。」
そう言って破顔する紬の顔は、…とてつもなく綺麗だった。
梗概 『虚実―軈て落ち、剥がれ逝くもの―』 萊草 唳
創作専用メタバース「あ・プリヲリ」、そこには、創造主と被造物と呼称されるユーザーが存在していた。創造主たちは心の赴くまま詩や音楽、それに付随する映像などを製作し、被造物たちは、それを「評価し」創造主にフィードバックされることで成り立っていた。評価とはすなわち、メタバースという仮想空間にユーザーを繋ぎとめるデバイスを経由して生じる感情の波…ここでいうメタバースとは仮想空間に存在する、記憶の外部媒体であった。記憶はあらゆるすべての感覚を内包しているが故に、ユーザーたちは五感の共有、つまり生の感情を共有することが可能となっている…その感情の連なりが重なって生じるさざ波がより大きなものが、僅かに押し上げられていき、浮き上がってくる、大きな塊を掬い取ったものをメタバース空間に反響させる。所謂優れた作品とは凪いだ海に生じるひとすじの風であり、はたまた大地の震えから生じる地割れのような感慨を以てして、創造主へのこの上ない賛辞とする。そこにはただ、作品に対する、真に純粋な評価だけが存在すると考えられていた。HN真榊(サカキ)…本名:栄柴繁(サカシバ シゲル)は「あ・プリヲリ」の中でも屈指の人気を誇る創造主The Handlerであった。だがしかし、輝かしい活躍とは裏腹に「あ・プリヲリ」が生まれる前から動画投稿者として名を馳せていた彼の製作スタイルは、数多のAnonymousたちの殺意を呼び起こすには十分すぎるくらいであった。…所謂、剽窃であると言わずにはおれない、マッシュアップ技法を用い、オリジナルを毀損するかのような表現で彩られた彼の製作物には熱狂的なファンが付き、そうしたファンの心ない言動などが遠因となって寄生先となってしまった製作者が自殺をした、という都市伝説も相まり「パッチワークキラー」としての名をほしいままにした彼の作風は健在で、場を「あ・プリヲリ」に移したとて、高い匿名性を誇るメタバースという空間に於いて彼の悪行が明るみに出ることはない、筈だった…。一方で秋根りちあ(アキネ リチア)は、幼馴染である蜂須賀蓮(ハチスカ レン)との関係性に悩みつつも、周囲との交流をひどく拒み、日々「あ・プリヲリ」での製作の日々に明け暮れていた。
平和だった筈の「あ・プリヲリ」に生じた異変の始まりは、Anonymousというユーザー集団が始めた定額制のサブスクリプションサービスであった。そこでは創造主のプライバシーに関わる信頼性の高い情報が齎されるとともに、時折スペシャルイベントと称して創造主に「成り代われる」権利を得るための催しが行われていた。
異変はやがて、現実のユーザーたちの変死を起点として、その凶悪性を増していくこととなる。次なる標的であった真榊扮するThe Handlerとりちあ扮するμάθη(メテ)が邂逅した時、二人はその遣り取りの中から、絶対に分かり合えない一線というものを実感する。奪うものと創るものに存在する圧倒的な差…その事実に打ちのめされたThe Handlerは今まで持つことのなかった感情をμάθηに抱く。その瞬間、Anonymousたちの感情の波に揉まれ「同化した」The Handlerはあらゆる記憶のすべてを喪い、廃人と化すのだった。りちあはというと、あらかじめ「あ・プリヲリ」の異変に気が付いていた蓮の助けを借りることで、一部の記憶を失ったものの無事生還することとなる。命を賭して助けに来た蓮の気持ちの一端に初めて「触れた」りちあは思いを改め、二人の関係も変化していくこととなる。
一方で廃人となってしまった真榊こと、栄柴繁は一命を取り留めたものの、青苧紬(アオソ ツムギ)の介護なしでは生活できない状態にまで貶められることとなった。しかしながら紬は満ち足りた気分だった、これこそが彼女が真に望む幸せの姿だったからだ。