多感作用と誰が為の共感

萊草唳の創作雑記

おおくのしまじま、うさぎ島

かつて地図から消し取られた島があった。

砂のけしゴムでざりざりと削られたその島には、

マスタードのガスが充満していた。

そこで働く人は、ようやく制服が着慣れたころの、

若い人たちばかりで

何を作っているのかも分からず

ただ、言われるがままに作っていた。

かつての若い人たちが、おじいさん、おばあさんになったころ

めいめいが止まらない咳や、へたすると酸素のボンベを引きずって歩く羽目になってしまったのだった。

それを近くの病院のお医者さんがなんとか助けたいという思いから、

治療したり、周りにいっしょうけんめいに訴えかけるなどしていた。

思いは灰色のコンクリートのひとびとの心を穿ちはじめたが、時は経ちすぎていたのだった。

おおくのしまじま、ただのうみ

今、その島にはうさぎがいて、

夾竹桃咲き誇るさなかをぴょんこ、ぴょんこと駆けめぐっている。

静かに佇む、写真館、壁を黒く焼かれた痕跡は

砂のけしゴムでざりざりと削り取られてしまうかのよう。

さざなみに耳をすますうさぎは識っている

おおくのしまに眠る、その声を。