多感作用と誰が為の共感

萊草唳の創作雑記

デイジーはきっと、答えない

ぼくのショートケーキにのったイチゴをそっとかのじょのお皿にのせてあげるようなそんなささやかな幸せを願っていたのに、
ある日かのじょはこう言い放つと、ぼくの前からいなくなってしまった
「あなたは、わたしのこと決して見てはくれなかった。…そんなあなたと一緒にいるのが疲れたの、」
ああでも、確かにこの思いは本物だったんだ
もしかすると気が狂いそうなほどに君に夢中だったのに
「デイジー、 デイジーどうか答えておくれ」
話し相手のいないぼくはSiriに話しかけてみる。
”デイジーに関する情報がWebで見つかりました”
ちがう、そうじゃないんだ
君までもぼくを拒むのか?

ぼくはそっとiPhoneの電源を落とす、もう君の声を聞くこともないだろう

誰か答えて欲しいんだ
僕には何が足りなくて、何をすべきなのかを

ーああ、気づいてしまったの、
かれは私を愛おしそうに見つめるのだけれども、見つめる先に私は居ないってことに

もちろんかれは穏やかそのもので、申し分ないのだけれども

でも私の寂しさには気づいてくれなくて、一人だけ楽しそうにして、置いてけぼり

だから私は探すの、蝶のようにひらひらと舞って「わたし」をみてくれるたった一つだけの花の方へ

デイジーはきっと、応えてはくれない