多感作用と誰が為の共感

萊草唳の創作雑記

ほしのにんぎょひめ エピローグ

僕は刑務所に来ていた、
というのは店主はまだここにいるらしいとの情報を得たからに
過ぎないのだけれども
彼がいわれの無い罪を問われ、今までこんな日々を過ごしているなんて知らなかった僕は、彼に会わずにはおれなかった
名前を告げ、面会の旨を告げると
彼に面会しに来る人は今まで一人としていなかったらしく
監察官に酷く怪訝そうな顔をされたがなんとか面会の許可が下りる事となった
 
何でも彼は刑務所生活では模範生らしく(冤罪で牢に入れられたようなもんだから当然と言えば当然なのだが)
刑務所内でのいざこざの仲介役をこなしたり活躍は多岐に渡っているらしい。
そんな話をしながら僕は面会室に通された。
壁一枚隔てた向こう側は別世界のように酷く淀んで暗い場所だと僕は思っていたのだけれども、想像とは全てが違っていた。
全ての権利を放棄した人達が、新たな権利を得るために日々を過ごす場所である刑務所で生きる人たちの日常は、刑務所の中に存在していて、そのサイクルの中で生き続けているのだ
柵の内側だろうと外側だろうとそれは変わらない。
行き場を失った亡霊のように佇み、ここにしか行き着く場所がないのだというように
制限を受ける事に順応しているだけで本質は変わらないのだという事を思い知る
ただ生きて生活することにすら不具合が生じるなら、もしかすると徹底的な監視の下で、制限を受けるけれども全ての義務から解放された日々を送る方がその人達にとっては幸せなのではないかと、
ぼくは思ってしまう
考えるということはある種、人に与えられた義務だ
彼らが犯した行為を斟酌するのはそれを取り巻く人達の義務で、当事者である人はというとこれからやる事がどれだけ悪い事か考える前に既に行動を起こしてる
出来そうか出来ないか、上手くいったかしくじったか
それだけの違いでしかないんだろうなって
人じゃないんだ、人としての義務を既に放棄してるんだ。
罪を犯したから罰が必要だと人は言うけれど
違うんだ、善悪の高で人を説得出来るなら、倫理なんで学問は存在しないんだ
そんな簡単な事で人が分かりあえてたまるものか、って
罰じゃないんだよ、その人にとっては。
だから管理する側の人間が必要なんだ。
僕は壁の内側に連れて来られてしまった人と対峙する。
この人だけは違うと信じてるから。
約束もしてないけど、ただ無事だという事を報せる為だけに。
「ここには誰も来ない筈だと思っていたんだけど
…お前が来たということは、終わったんだな、何もかも
解決はしなかったけど、終息にだけはこぎ着けた、といったところかな。
なあ、聞いてくれるか。
たとえもし、石を投げつけられたとしても
石を投げつけられた後は気を持ち直して与え続ける人でないといけないというのが、俺、いや…僕の信念なんだ
でも石を投げ続けてくるという人は、それしか出来ないから
いつかそんな僕の行動を理解出来ないだとか
ひょっとすると脅威に感じるんじゃないかと、思うんだ
きっとそれは生き方が違うからで
そして俺も、…もう俺ではないんだ
石を投げつけられた時から
全てが終わり、そして始まったんだ
今では僕と言った方がしっくりくる、いやむしろ相応しいって思うくらいの違いがそこにはあるんだ
かつての僕は酒場で何が起こってしまったのか見極めようとした、
そして自分の身を全て賭けて一石を投じてみたのだけれども
…実態をようやく掴みかけた時には、もう、手遅れだった。
いつのまにか歯車の一部として取りこまれてしまっていて
そして利用もされていて
何の取引が行われているか、ぐらいしか分からなくて
それが何かを確かめることも
また、食い止めることも出来なかった
…これは僕の罪だ
だからこうして牢に入ったのは一種義務だと思っているんだ
そしてこれは彼らに対抗する手段でもあったんだよ
場所がなくなった今、彼らは散り散りになってしまって
あれからあの酒場で取引が行われる事は不可能になってしまった
人を集めると言う事は実際難しいことだ、
人が少な過ぎては利益を得ることは難しくなるし
逆に人が多過ぎては事態が明るみに出るリスクが増すからだ
僕みたいなトカゲの尻尾みたいに切り落とせる人間なんて見つけるのは更に至難の業だ
…やつらは手元における事情を何も知らない人間を必要とする
これから起こる事が何かも分かっていなくて
そして利益的な感情を持って近づいてきたのでもない
憐れな子ヒツジのような存在が、な
だからお前が気に病むことなんて無いんだ。あの二人の事も」
「僕だけが何も知らなかった」
「いや、今まで良く頑張ったと思うよ…
 お前は逃げずにこの街に戻ってきて、そして僕に会った。それだけでも大したもんだ」
「ぼくは何も覚えていなかった、悲しみごと、何もかも
 だからこそ、辿ることが出来たんだ、…それだけだよ」
「でもこうして思い出す事は出来た
その時のそのままでなくても、どう思ったか、どう感じたかだけは、残ってる
だからこそ、ここに来たんだろ?」
「…あなたはこれで良かったんですか?」
「言ったろ、これは義務だって
 …まあ下手すると命が危なかったからな
それならこの徹底的な監視のある場所で、多少ではあるが窮屈な生活を強いられている方が気楽だってのもあるよ」
「…そういう余裕そうな感じ、変わらないな。」
「僕が変わったのは…お前の母さんと会ってからだよ
まあ、変わらないと言ってくれたのは嬉しいかな、ありがとう」
その言葉に安堵をし、今までの口調に戻すことにした
初めて会ってから、些細な事でも何でも話してきた、あの日のように
「…これからどうするの?」
「パンを作る職業でもしようかな、と」
「それは何で?」
「作る人である限り、奪われる事はあるかもしれない
 …でも失うことはない
 だからこそ、作り続けるんだ、何かを
 …何でも良い、でもどうせならやってみた事のないものを」
やっぱり前と変わらない、同じだ。
思わずふっと笑みが零れる、そして
「…21.262グラム」
「…?え?」
「21.262グラムらしいんだ、魂の重さって
ある学者が実験によって突き止めたらしいんだけども
真実かどうかは別として、面白いな、って思った
…店主もその学者とどこか似てると思う」
「…そうなのか?良く分からないけど」
 
死んだ人の事を思うと心が沈む
そして涙を流しているうちにふっと心が浮つく、まるで空っぽになったみたいに
悲しみが空洞になった心を穿つ
死んだ人を思って泣いた分だけ心が軽くなるのは
それが21.262グラム分だけの重さを帯びているからなのかもしれない
その重さだけ悲しみを吐き出したら
その分だけ新しく生まれ変わってまた、一歩を踏み出せるような気がするんだ
「ぼくはまた、旅に出ようと思う」
 
 
そこで、面会の終了を告げるベルが鳴った。