多感作用と誰が為の共感

萊草唳の創作雑記

ほしのにんぎょひめ 透明な沈黙の中で

イデアは喋らない、だからこそ僕は喋り続ける
「そして誰も居なくなった、」
拳をぎゅっと握りしめて全ての感情を噛み殺しながら
「ぼくはここに戻って来たのはつい最近で、ぼくだけが今ここに居るんだ」
彼等の不在がなんてことのなかったかのように街は機能していて
酒場もすっかり風体が変わってしまっていて、それでも海岸の風景だけは相変わらずで、松明の光が煌々としていた
ああ、思い出していくたびに蘇るのは自分にとって大事な思い出であって
他人にとってはそんなのどうってことのない記憶なんだと
そこに居る人には時が流れる度に廃れていって変わることのない生活にどこか嫌気がさしてしまって
そうして全てが置き去りにされてしまうのだ
「ぼくは、彼が辿り着けなかった真実を確かめなければいけないんだ、でもどうしてなんだろう
誰もが皆違う方向を向いて居た筈なのに、」
二人ともがそれぞれ事情を抱えていて嘘をついていたのだ
一人は義務から
そしてもう一人は単なる暇潰しか、それとも、いや、本人ですらそれが何を意味するか分かって居なかったのだろう
血走った目に焦りの表情は感じられたものの、自分が何をしでかしたのかは分かってはいないようだった

店主は麻薬の取り引きに関与していた疑いを持たれて捕まる事となったが
店主が糸を引いていたという証拠はどこにもなくただそこに足繁く通っていた二人の常連客が死んだ事と、洞窟で薬を使用した痕跡が発見された事から
事情聴取を受けたのが全ての始まりであり、そして終わりだったのだ
アブサンは薬とは無縁の酒の筈だった
でも、ハーブと言ってしまえば如何様にでもなるというのが
通例である

「どうして店主が、どうして、あの二人が」
にんぎょひめは答えない
言葉が通じるのかどうかも分からないまま、ぼくは喋り続けた
岩場に腰かけ背中合わせになった状態ではかのじょの表情は分からない。
ぼくにはただ、話を聞いてくれる人が必要だった
「君は誰なんだ、何をしていたんだ、
…何を考えているんだ」
振り返るとにんぎょひめの姿は跡形もなくなっていた
そして、光の帯が絶えず回転するそのなかにそれはあった
それが、人魚姫の涙だった