ある人がいた、
靄のなか
Rules are running out
また、ルールが改訂されたのか
もう夏かと思わせるほどの太陽が照りつける、光は新緑をじりじりと焼きつけいまにも融けてしまいそうだ。
街の電光掲示板や携帯型タブレットなどといったあらゆる情報ツールが同じ画面を表示する
「××年××日○時 ルールが変更されました、各自確認すること」
刻一刻と変更されていくルールに順応するのが国民の義務である
まるでマスゲームかのようにその場に居合わせた人達が同じような動作で情報端末に眼を通す
僕はというと通知を知らせるアラームが鳴ったらそのまま放って置いている、そうして一日が終わったあとに更新事項を眺めて、ああ今日も滞りなく一日を過ごすことが出来たと、独り言ちて安堵とそして独りよがりな満足感に浸るのだ
これはある種の賭けなんだ、
何もしないことが禁則事項に含まれてしまったら僕の賭けはそこで終わってしまうのだけど
ルールなんて知ったことか、ルールを破ろうとしてる人たちにはその切実な声なんて届くことは無くて、
ただ哀れで「善良」で「無害」な人達がルールが変わったことを確認するのが国民の義務で、
変わったルールと変わる前のルールがどう違うかだとか、そんなことは衆目の関心には至らないんだって
実にくだらないよね、ルールは施政者の意図通りに変遷していくのに肝心の当事者たる人々が無関心なんだって
そして問題が起きた時には声をあげるんだけどもう手遅れだってことに気づいてないんだ
あれを変えればどうにでもなるんだという甘言に惑わされて、でも結局その文言がそっくり別の言葉に成り代わってしまう、いつの間にかに、知らないうちに
そのすべてを追いきれる人は誰もいないんだってことに気づかなきゃいけないのに
ルールを変えるのが祖父の背中を追ってきた僕の唯一の目標なんだって言ってた人もいるけれど、今は時代が違うじゃないか、そういう結論に至った過程をあなたは見てきたのか、違うだろ、結果どうしたいかだけしか記憶に残ってないんだろって
何回もルールが改変される度に思うんだ、あなたが作りたい世界は、何なんだと
そしてまた、アラームが告げるんだ
ルールが改定されました、
ああ、まただ、と
「理性ってものは普遍的なものじゃなかったのかね、それが今ではどうだ。」
違うんだ、理性を語るにはあまりにも人の性が脆弱であやふやなもんだって、ただそれだけのことなんだ
臆病な人間が自らを責めるものを退ける為だけに変更されていくルール達
イレギュラーは終わらない
改変も終わらない
安住の地はどこにもない。
ほしのにんぎょひめ エピローグ
ほしのにんぎょひめ 透明な沈黙の中で
ほしのにんぎょひめ どうくつのイデア
細波が引いてぼくは手に持っていた本を静かに閉じた
寄せては打ち返す波のただ中に居てただ一つ変わらない松明の灯を眺めていた
そんな中でぼくは、彼女に出会った
鈍く光る彼女の姿は話しに聞いていた人魚の姿かたちとは異なっていた
ぼくは彼女が話が出来るのか出来ないのかお構いなしに
隣に座ってとりとめのない話をする事にした
背中合わせですぐ傍に居るのに、相容れない隔たりはいくら時を重ねた所で普遍的に存在する見えない壁のようなものに遮られる
彼女はそんな存在だ
だからこそ言えるようなこともあるんじゃないかとぼくは思うのだった
「…洞窟のイデアってしってるかい
足枷をつけた人々が洞窟の中で暮らしてて
暗がりの洞窟を照らし出す唯一の松明に映った何者かの影を人々は恐れるんだけど
それは自分の影であって、つまりはまやかしに過ぎないんだよ
でもまやかし程人は恐れるもので
すぐ傍にある足枷には気付きもしないでただ騒いでるんだ
それはつまり…早く気づくべきなんだって事だよ
ぼくの祖父は人魚姫の話をとても楽しそうにしてて、
どこか遠くを見つめた風に、幸せそうに
だからぼくもそういうのが見つかれば良いのになって
ほんとうのさいわいなんてわからないけど
ただ、あそこはぼくが居てもいい場所なんだって
そういう気がして
実際あの時のぼくにとって人魚姫がいるかどうかは重要ではなかったんだ、…店主に会って何かが変わったのかな
…おかしいと思ったんだ
ぼくは記憶を喪っていたのだけども
掻き集めた欠片をいくら繋ぎ合わせた所でそれは前のぼくじゃないってことは分かったんだ
でも何回も何回もそれを繰り返した事は、やっぱり無駄じゃなくて
その分ぼくは、
少しだけ、今まで目を背けて見ないふりをしていたものと向き合えるような、
そんな気がして
…そして、ぼくと一緒にいたあの二人は、見知らぬ人が久しぶりに店にやって来たあの日に
…死んだってこと
そして店主も居なくなってしまったってこと
そして、店主は単に利用されただけで、
…それはあのアブサンに関係する事で
かれに会わせてくれたのは…君だね?
イデアって呼ぶね、これからは
………洞窟の方みてるからイデアっていうの、
ちょっと単純かな…?」
ぼくはかのじょにイデアと名づけることにした、名前も教えてくれなかったから
ぼくに特定の名前を考えるだけのセンスはない。
もしかしたら女性じゃないかもしれない、人魚姫の世界のことはわからない
ほしのにんぎょひめ 人魚の瞳
草食動物の眼は外敵をなるべく早い段階から視界に捉えられるように平行に位置している
肉食動物の眼は獲物に最期の一撃を与えられるように中心に位置し、立体視が出来るようになっている
眼が捉えるのは三次元世界を二次元に還元した像であるが
それを奥行きのある立体構造として捉える事が出来るのは眼の位置だけではない
実像を実像として捉える事が出来るのは眼に因る働きではない
眼前の世界を実像なのか虚像なのか考える事が出来るのは
実像と虚像が存在するが故である
虚像が存在するという一見誤謬にも思える事象は実像が虚像の存在を以て実像たり得るものであるという事実に則している
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あの人はやって来ない
時折、浅瀬に戻ってきては祠の近くの岩場に腰掛けている
祠に見えるのは様子のおかしい人ばかり
松明のパチパチとはじける音の他に呻き声が聞こえてくる
暗く澱んだ煙が朦々と
祠の中から人が入る度に出てくるのだ
どこか生気のない弛緩した笑みを浮かべて出入りする人々は
「にんぎょひめの涙はたしかにあったのだ」
「今度はいつ行けば手に入る?」
「いくら払えばいいんだ?」
と祠の前で待ち構えている男に話しかけているのだ
「まあ、次の時も酒場に来てくれれば、」
「じゃあ、またにんぎょひめの話をあそこですればいいんだな?
図書館にあった本の話はしなくていいんだな?俺は本を読むのが大きらいなんだ、だけども
上手い話のありかを教えてくれる本なら別だ。
でもさ、何で儲かるってのに酒場でわざわざ本の存在なんか教えてくれたんだ?」
「…それは、人数が多ければ多いほど儲かるからな。むしろ感謝してるほどさ。君たちには感謝してるよ…とても、とてもね。」
少女には分からなかった
祠から漏れ出す煙は憂鬱そのもので触れてはならないものだと、彼女の直感がそう告げていた
だけれどもそれらに魅了された弛緩した顔付きの人々は
まるでそれが自分にとってどれだけ必要な物なのか云うのである
少女は悲しかった
あの人と会った場所であった筈の祠は今はもう影もないほどに荒れ果ててていくのをこの眼で見てきたからだ
そしてその荒廃を導いたその張本人が、目の前に居るのに
喋る事を禁じられている、禁じている自分にはもうどうしようもないのだった
笑顔で手招きをする男の顔はどこか酷く歪んでいて
含んだ笑みの下に確かな悪意をはらんでいるのだった
ほら、見ろあの男のなんとも邪悪な素振りを
そこで何をしているのか、何を言って周りを騙しているのか知っているのに、口を紡ぐほかに術はないのだった
頬に、涙が伝って落ちた